小林秀雄について

昨年、このブログを開設して3記事に終わった三記事坊主。今年はもうその数を超えられました。ブログの枠組みさえ、まるで建築表示のない建築現場みたいな状態。何が建つよと予定でも説明した方がいいのではないかとは思いますが、実は何が建つか自分でもよくわかっていない。

 

無欲の日本史。実は「無翼の古代史」というのが中心テーマです。私は別にこのブログのアクセス数を増やそうとか、自分のYouTubeのチャンネルに誘導しようとか、そういうことの目的のためにやっている訳ではありません。ただ、自分の考えを整理したい。それだけです。整理するなら別に非公開でOneNoteなりEvernoteなりに書いていけばいいではないかと思われるかもしれません。

 

まぁ、それもやってはいますよ。だけど、あれって完成しないじゃないですか。OneNoteに下書きのようなメモを、いや記事を書いてそのままコピペして「はてなブログ」で公開したとして、絶対にその途中で私は自分の文章に手を入れたくなります。向こうでできるのは下書きでしかない。いや、こちらでもそうなんだけど。だって、絶対に私、公開ボタン押してから、結局読み直して修正している。ものを書いたりするのに向いてないんだろう。

 

OneNoteとかでできるのはネタの整理のための仮置き場。本番ではない。人に見られるという恐怖感がない限り、最終の形態にはなっていかない。これは私がダメな性格だからなんだろう。今年も大掃除なんか一切なしで床に散らかり放題の汚い部屋で過ごす新年です。

 

あ〜、書きたいことをタイトルに置いて、前振りが長い。小林秀雄のこと。それと古代史なり日本史なり何の関係があるんだと。いや、ありまくりですよね。昭和の文壇の重鎮です。私なんかが言うのも恐縮だが、好きな文学の作家は(もっと言えば自分の人生に重要と思う文学者は)と聞かれたら、小林秀雄の名前を挙げます。

 

3年間いろいろ読んだ。大学に入学して開放感感じて、数ヶ月で躓いて(勉強にじゃないよ)前に進めなくなって、もやもやとしていた頃、小林秀雄の訃報が入った。彼の名前は高校の現代国語の先生が吹き込んでくれていた。訳のわからない文章を読まされた。小林秀雄は受験に出る、みたいなことをちらっと言った高校の先輩がいたような気もする。

 

それで、新潮の追悼特集記事を買って読んだ。何か運命的なものを感じた。小林秀雄と彼が評論した文学やら絵画や音楽の散策が始まった。展覧会のチケットなんかを生協で安く買ったりして。



 

それで、あるはずみになる出来事があった。雑誌を見ていたら、坂本龍一吉本隆明が対談していた(何の雑誌だったか記憶にないのだが、後で調べてみようか)。YMOが私のアイドルだったから、吉本の名前が気になった。あの頃は反核異論の頃だった。いろいろと読んでいくと、どうも小林秀雄とのつながりが見えてきた。と、自分の趣味の音楽と小林秀雄がつながるように思えた。孤独で訳のわからない美術館巡り、図書館・古本屋通いが急に意味のある作業に思えてきた。

 

その頃、ノートを付けていたから、いつ頃、何を読んで何を見て、あるいは聞いて何を考えたかはわかるかもしれないが、当時の恥ずかしい気持ちが蘇ってくる恐怖感から、あのページは封印されている。

 

今から振り返ると、当時は文壇、論壇なり思想界というものがあり、左右両陣営がお互いを読み合っているという状況があったのだが。今はもう文壇というより分断で、感情的にというか生理的に嫌いあっているだけ。リベラルは死滅するどころかポリコレという武器を手に入れて、言論の自由は過去の概念になっている。だからこそ、YouTubeは平気でバンするわけだ。

 

ポストモダン? 差異化の末に全部フラットになった平成という時代。そして令和。これは昭和の焼き直しなのか、それとも。

 

曲がりなりにも60年生きちまったな。それに小林秀雄という人は影響を与えてくれた。3年間、あの訳のわからない言葉と付き合ううちに、何かわかった気がしたのだ。出典は忘れたが、アルチュール・ランボオという詩人を読むうちに小林秀雄は何かに気づき、「僕は出発することができた」という心境になったのだ。天才詩人ランボオは突然、詩をやめてアフリカで商人になって暮らした。小林秀雄には女を取り合っている中原中也という友人がいて、自分は小説家を志していた。そして、小林秀雄は小説家を辞めるのだ。そうして文芸批評家になっていった。あぁそうかと、何か妙に悩んでいたモヤモヤしたものが、一挙に消え去るようなスガスガしい気持ちになった。小林秀雄というのは青春期の読み物としてはいいのではないか。

 

私はそうやって小林秀雄というのを体験したが、自分は一体何をしたのだろう。ランボオは彼の若い頃の芸術と名声がある。小林秀雄は初期小説の試みに終わらず文芸批評家としての作品と名声がある。お前には何も無いではないか。そうです。私には何も無い。

 

いや、でも、何か今言いたいことがあるのだ。小林秀雄を読んでいて、やはり当時ついていけなかったのが、本居宣長だった。吉本隆明共同幻想論古事記をベースにしていたから、読もうとしたが岩波文庫で挫折した。当時の自分には無理だった。

 

吉本隆明については、代表する3部作は難解だが、言論人として目立っていて対談やインタビューが豊富、話し言葉で自分の思想を披露してくれるからおおよそ何を言っているかは理解しやすかった。共同幻想論についてはマルクスフロイトフレームワークで日本古代史を探る、という試みであった。それは当たり前、吉本思想の特異さというか、今となってはまやかしだとか揶揄されるところが多いのだろうが、彼の動機としては軍国少年だった自己反省で、それは結局、小林秀雄の「様々なる意匠」への返歌だと思う。このように小林秀雄吉本隆明はつながっている。そして、それらを受け継いだ者が柄谷行人であり、中上健次だった。しかし、柄谷や中上が本当に小林をロールオーバーできたか、この評価としては(何事も慎重に手間のかかることだが)、あえてざっと言えば出来てなかったんじゃないか。というのも、私は柄谷のデビュー作「マルクス その可能性の中心」を小林の側からマルクス批判の書だと思って読んでいて大学を卒業し、実業の世界に就職し、それも途中で辞めて、惨めな人生を送ってきた。そして、21世紀もだいぶ過ぎてから、柄谷の本心が(タイトルからすれば当然なのだが、同書の英文のタイトルを見て変だなと)、マルクスの礼賛だったことに気づいて、愕然とした経験を持つ。え、この人、発展段階説ってピュアにいまだに信じているんだなと。いやぁ、私は高校で現国の時間に小林秀雄加藤周一を読まされながら、社会科系の左翼教師にはたんまりとマルクス主義思想の洗礼を受けて育ったが、大学1年で取った経済学の授業でいきなり、発展段階説批判というのを教わってびっくりしたのだ。その印象が強過ぎて、無批判で受け止めた私がバカだったのかもしれないけれども。

 

頭のモヤモヤを整理しないとならないので手間がかかるが、要するに本居宣長小林秀雄吉本隆明柄谷行人中上健次は自分の中ではつながりがあるということです。そりゃ、日本人だからあたり前やんと。

 

だから、ようやく自分の中にそれらと真剣に向き合うべき時が来たのだと思う。私の最後の、総決算的な趣味がこのブログです。