小林秀雄について

昨年、このブログを開設して3記事に終わった三記事坊主。今年はもうその数を超えられました。ブログの枠組みさえ、まるで建築表示のない建築現場みたいな状態。何が建つよと予定でも説明した方がいいのではないかとは思いますが、実は何が建つか自分でもよくわかっていない。

 

無欲の日本史。実は「無翼の古代史」というのが中心テーマです。私は別にこのブログのアクセス数を増やそうとか、自分のYouTubeのチャンネルに誘導しようとか、そういうことの目的のためにやっている訳ではありません。ただ、自分の考えを整理したい。それだけです。整理するなら別に非公開でOneNoteなりEvernoteなりに書いていけばいいではないかと思われるかもしれません。

 

まぁ、それもやってはいますよ。だけど、あれって完成しないじゃないですか。OneNoteに下書きのようなメモを、いや記事を書いてそのままコピペして「はてなブログ」で公開したとして、絶対にその途中で私は自分の文章に手を入れたくなります。向こうでできるのは下書きでしかない。いや、こちらでもそうなんだけど。だって、絶対に私、公開ボタン押してから、結局読み直して修正している。ものを書いたりするのに向いてないんだろう。

 

OneNoteとかでできるのはネタの整理のための仮置き場。本番ではない。人に見られるという恐怖感がない限り、最終の形態にはなっていかない。これは私がダメな性格だからなんだろう。今年も大掃除なんか一切なしで床に散らかり放題の汚い部屋で過ごす新年です。

 

あ〜、書きたいことをタイトルに置いて、前振りが長い。小林秀雄のこと。それと古代史なり日本史なり何の関係があるんだと。いや、ありまくりですよね。昭和の文壇の重鎮です。私なんかが言うのも恐縮だが、好きな文学の作家は(もっと言えば自分の人生に重要と思う文学者は)と聞かれたら、小林秀雄の名前を挙げます。

 

3年間いろいろ読んだ。大学に入学して開放感感じて、数ヶ月で躓いて(勉強にじゃないよ)前に進めなくなって、もやもやとしていた頃、小林秀雄の訃報が入った。彼の名前は高校の現代国語の先生が吹き込んでくれていた。訳のわからない文章を読まされた。小林秀雄は受験に出る、みたいなことをちらっと言った高校の先輩がいたような気もする。

 

それで、新潮の追悼特集記事を買って読んだ。何か運命的なものを感じた。小林秀雄と彼が評論した文学やら絵画や音楽の散策が始まった。展覧会のチケットなんかを生協で安く買ったりして。



 

それで、あるはずみになる出来事があった。雑誌を見ていたら、坂本龍一吉本隆明が対談していた(何の雑誌だったか記憶にないのだが、後で調べてみようか)。YMOが私のアイドルだったから、吉本の名前が気になった。あの頃は反核異論の頃だった。いろいろと読んでいくと、どうも小林秀雄とのつながりが見えてきた。と、自分の趣味の音楽と小林秀雄がつながるように思えた。孤独で訳のわからない美術館巡り、図書館・古本屋通いが急に意味のある作業に思えてきた。

 

その頃、ノートを付けていたから、いつ頃、何を読んで何を見て、あるいは聞いて何を考えたかはわかるかもしれないが、当時の恥ずかしい気持ちが蘇ってくる恐怖感から、あのページは封印されている。

 

今から振り返ると、当時は文壇、論壇なり思想界というものがあり、左右両陣営がお互いを読み合っているという状況があったのだが。今はもう文壇というより分断で、感情的にというか生理的に嫌いあっているだけ。リベラルは死滅するどころかポリコレという武器を手に入れて、言論の自由は過去の概念になっている。だからこそ、YouTubeは平気でバンするわけだ。

 

ポストモダン? 差異化の末に全部フラットになった平成という時代。そして令和。これは昭和の焼き直しなのか、それとも。

 

曲がりなりにも60年生きちまったな。それに小林秀雄という人は影響を与えてくれた。3年間、あの訳のわからない言葉と付き合ううちに、何かわかった気がしたのだ。出典は忘れたが、アルチュール・ランボオという詩人を読むうちに小林秀雄は何かに気づき、「僕は出発することができた」という心境になったのだ。天才詩人ランボオは突然、詩をやめてアフリカで商人になって暮らした。小林秀雄には女を取り合っている中原中也という友人がいて、自分は小説家を志していた。そして、小林秀雄は小説家を辞めるのだ。そうして文芸批評家になっていった。あぁそうかと、何か妙に悩んでいたモヤモヤしたものが、一挙に消え去るようなスガスガしい気持ちになった。小林秀雄というのは青春期の読み物としてはいいのではないか。

 

私はそうやって小林秀雄というのを体験したが、自分は一体何をしたのだろう。ランボオは彼の若い頃の芸術と名声がある。小林秀雄は初期小説の試みに終わらず文芸批評家としての作品と名声がある。お前には何も無いではないか。そうです。私には何も無い。

 

いや、でも、何か今言いたいことがあるのだ。小林秀雄を読んでいて、やはり当時ついていけなかったのが、本居宣長だった。吉本隆明共同幻想論古事記をベースにしていたから、読もうとしたが岩波文庫で挫折した。当時の自分には無理だった。

 

吉本隆明については、代表する3部作は難解だが、言論人として目立っていて対談やインタビューが豊富、話し言葉で自分の思想を披露してくれるからおおよそ何を言っているかは理解しやすかった。共同幻想論についてはマルクスフロイトフレームワークで日本古代史を探る、という試みであった。それは当たり前、吉本思想の特異さというか、今となってはまやかしだとか揶揄されるところが多いのだろうが、彼の動機としては軍国少年だった自己反省で、それは結局、小林秀雄の「様々なる意匠」への返歌だと思う。このように小林秀雄吉本隆明はつながっている。そして、それらを受け継いだ者が柄谷行人であり、中上健次だった。しかし、柄谷や中上が本当に小林をロールオーバーできたか、この評価としては(何事も慎重に手間のかかることだが)、あえてざっと言えば出来てなかったんじゃないか。というのも、私は柄谷のデビュー作「マルクス その可能性の中心」を小林の側からマルクス批判の書だと思って読んでいて大学を卒業し、実業の世界に就職し、それも途中で辞めて、惨めな人生を送ってきた。そして、21世紀もだいぶ過ぎてから、柄谷の本心が(タイトルからすれば当然なのだが、同書の英文のタイトルを見て変だなと)、マルクスの礼賛だったことに気づいて、愕然とした経験を持つ。え、この人、発展段階説ってピュアにいまだに信じているんだなと。いやぁ、私は高校で現国の時間に小林秀雄加藤周一を読まされながら、社会科系の左翼教師にはたんまりとマルクス主義思想の洗礼を受けて育ったが、大学1年で取った経済学の授業でいきなり、発展段階説批判というのを教わってびっくりしたのだ。その印象が強過ぎて、無批判で受け止めた私がバカだったのかもしれないけれども。

 

頭のモヤモヤを整理しないとならないので手間がかかるが、要するに本居宣長小林秀雄吉本隆明柄谷行人中上健次は自分の中ではつながりがあるということです。そりゃ、日本人だからあたり前やんと。

 

だから、ようやく自分の中にそれらと真剣に向き合うべき時が来たのだと思う。私の最後の、総決算的な趣味がこのブログです。

 

History Genome & Culture?

これについて触れざるを得ません。今年は戦う年にしようと決意しました。YouTubeで日本古代史関係の動画を見ていると、History Genome & Cultureという名前の研究機関の情報発信活動が目に触れた方いらっしゃいますよね。

www.youtube.com

 

何かすごい国際的研究グループが論文を発表しているというような印象持たれたかもしれませんが。

 

コメント欄にはマジにレスポンスして質問したりしている方もいらっしゃいます。いや、その前に、この研究機関のプロフィールを調べてみることをお薦めしますよ。賢明なる皆さんは既に実施済みで、私が一人怠慢で今頃やってみただけかもしれませんが。

 

この研究財団のホームページ、すごいこと書いてありました。びっくりしました。

hongikf.org

Hongik Foudation <弘益財団>

One of the core projects of the foundation is to make distorted history by Japan right alongside settling down the issues between the two countries. The foundation sees that the history from the very ancient Korea has been distorted by the Japanese ever since they colonized the land. For the Japanese, it was necessary to lure elites of the Korean society to make a pretext for invasion; and thus born was ‘colonial history’. The seriousness is that it still has not changed a bit after 75 years of the liberation. 

拙い訳ですみません(というか、英文も少し変です)、訳します。

当財団の中心的プロジェクトは日本右翼により歪められた歴史の是正と2国間の問題解決です。当財団は古代から続く朝鮮の歴史は日本の植民地支配以降歪められていると認識しています。日本人にとっては、侵略の口実とするために朝鮮社会のエリート達を幻惑する必要があったので、「植民地史観」が生まれました。その深刻さは民族解放75年経った今なお少しも変わっていないことです。

 

いやはや、もうこれ以上、何も言うことないと思いますよ。この財団は併合時代の日本のみならず、現代日本についても敵意剥き出し、ということです。

 

学問の名を借りたプロパガンダ、インターネット時代の海外向け放送みたいなもんです。中央政府がやっているわけではなく私的財団ですが、その思想は何と言うか、ムン政権的です。彼は確か、大統領に就任してから上海臨時政府の跡地に訪問したわけです(朴槿恵が上海で文在寅重慶だったみたい)。つながりますね。ですから、何となく研究の結論が親北なのはそういう理由かと。北から古代文明がやってきたと言いたくてたまらないわけです。

 

学問研究の名を借りた国際世論の操作。それが目的なんでしょう。

 

歴史戦ですね。受けてたとうじゃないですか。微力ながら。私もKeyboard Worriarになろうと思いますよ。

2010年の邪馬台国の所在地アンケート結果

邪馬台国本、年末年始に少し読もうとやってます。最新本というより、図書館に置いてあったちょっと古い本。そうしたら、福岡県が実施したアンケート結果が紹介されていた。

 

調べたら2010年で、情報はほとんど無かった。唯一、論文の冒頭にちょこっと紹介されていたのが見つかった(西谷正「邪馬台国最新事情」石油技術協会誌 第 75 巻 第 4 号 (平成 22 年 7 月)277 ~ 285 頁)。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/japt/75/4/75_4_277/_pdf

 

九州説、東遷説、近畿説の順に紹介しているが、結論的には「まず魏志倭人伝の資料批判を徹底的にやることであり…東アジア史の視点をもって…倭人伝に記載されなかった諸国についても…トータルに見ていく必要がある。そのためにも…日本列島の諸地域に対して,地域単位 の考古学的調査・研究をよりいっそう推進することが重要」と無難な提言でまとめられている。しかし、紹介図表は寺澤薫の纏向型前方後円墳の全国分布状況など纏向=邪馬台国の比定を重視しており、近畿説の各論における「箸墓古墳は…卑弥呼の可能性が高く、したがって卑弥呼ヤマト王権の最初の大王であろう」とも言っていて、近畿説が主流となりつつあることを予見する書きぶりである。論文のタイトルは「邪馬台国最新事情」であるから、そういうものである。

 

つまり、前振りの比定地アンケートの紹介は、九州説は研究状況の中では遅れているが一般大衆にアンケート取るとかなり根強い支持がある、ということを言いたいのだろう。

 

念の為、この10年以上前のアンケート結果を上の論文から紹介する。圧倒的に九州という結果で、1000人のうち、5人しか畿内と回答していなかったのだ。

(出所)西谷正「邪馬台国最新事情」石油技術協会誌(平成 22 年 7 月)より

 

このようなアンケートを今取ったらどうなるだろう。まぁ、徳島が相当な数を記録すると思いますね。何か読売Webが年末い記事にしてたみたいだし。

 

映え、とかそういう評価軸なんじゃないだろうか。「古代にユダヤが来た!」、映えますよね。え! 何それとかって。で、詳しく見てみたら、何となくしか知らなかった日本神話の話がどんどん繋がっていく。そうか、阿波は歴史の中で隠されたのか。可哀想、これは何とかしなくてはいけない。

 

こうやって、一度結ばれた論理回路は「伊勢神宮に祀られているのはユダヤの失われたアークですよ」と言われて、そうかもしれないと思うんでしょうか。

 

私なんかは、10000%譲って、仮にそうだったとして、それがもたらす諸々の事柄が気になって、ものすごく気持ち悪くなりますが。映え系の議論だと、無責任に好きか嫌いかで優劣が決まるんでしょう。

 

このような状況の中で、例えば、今、古代史研究の専門家はどのような総括をするのだろうか。非常に興味ありますね。

 

日本最低の新年のご挨拶記事でスタートしてみる

新年明けましておめでとうございます。年賀状なんてものはもうやめているし、人と接触していないので、独り言です。

 

果たして、このブログで何をしようか、今年は煮詰めていこうと思っています。YouTubeなんて無視すればいいとは思いますが、性格的に一度気になると無視できなくなってしまう。

 

やっぱねぇ、古代史関係の動画でものすごく違和感を感じるのが「邪馬台国阿波説」。彼らが邪馬台国の比定に終始してくれていれば、別に違和感を感じることはないのだが、どうも彼らのロジックはキセルみたいな感じがする。入り口と出口が違っているのに、出口のインパクトに感動してしまって、おそらく「これはすごい発見なのではないか」という陶酔があるというか。それは何かを理解した時に、人に伝えたいというか、それで世の中に貢献したいと思うというか、そういう気持ちは理解できなくはないです。

 

が、問題はその中身の意味する所です。全部を精査したわけではないが、彼らの邪馬台国比定の旅路の末、たどり着いた出口は2つある。

記紀とは全部阿波から始まったので、邪馬台国も当然阿波。日本神話は全部阿波が始まり。出雲はそれを隠蔽するための嘘

②日本神話で祀られている神はユダヤの神であり、国産み神話とは古代ユダヤの民の渡来の史実である

 

上の①はまぁ、戦後の歴史学津田左右吉の名誉回復から始まっているのだから、そうした、日本神話嘘説の一種だと思えば理解できなくはない。だが、問題は②だと思う。

 

とにかくこの日本の歴史を考えるというプロセスは恐ろしく難しく、面倒だと思う。かなり長いスパンでの近隣の中国・朝鮮史がわからないとならないし、世界史の知識がなければならない。

 

前置きは不完全な認識の言い訳だが、結果を恐れずに頭の中のモヤモヤを言葉にしていこうと思う。それが自分にとって必要だ(他に必要な人がいるかどうか、それは二の次だ)。それくらいに、私はあの阿波説界隈の動画を見るたびに不快な気持ちがしている。違和感感じないのだろうか。

 

やっぱり、日ユ同祖論はタチが悪いと思う。持って回らずに結論から言ってみよう。ヤオロズの神と一神教が同祖って考えるのはどう考えてもおかしい。で、伊勢神宮に祀られているのはユダヤの神? そんな異教徒の神を拝まされて2千年もやってきたの? 日本人というのは。そう思わないんですかね。同祖論に共鳴する人は。ノーベル賞の天才を生み出したユダヤと遺伝的素質が同じだと知って感動しちゃってるんですかね。おいおいYAP遺伝子って天才遺伝子って誰が勝手に確定してるんだよ。

 

また田中英道と茂木誠はユダヤ人埴輪だとか言ってるし。怪しい。田中英道に至っては魏志倭人伝倭人の条は偽書、金印も贋作。邪馬台国は無かった、と言っているにも関わらず、阿波説の人たちには何か権威のある学者からお墨付きを得ているようなエビデンス扱いになっているかのよう。CGS、神谷、参政党。もう政治的なプロパガンダ丸出しじゃないか。黒川が追求してた日本ユダヤ協会との関係とか、やっぱ気になるよな。

 

まだ、結論言い切れてない。要はね、イスラエルの地にはソロモン王のユダヤ王国ってのがかつてあったと書かれているけど、その神殿なり遺跡なりって見つかってないんでしょ? 例えて言えば考古学的発見は無いのに文献史学が先行して歴史的事実となり入植が進み、その地はもう100年も争いが絶えない土地になってしまったと。

 

警戒した方がいいと私は思いますよ。ユダヤの失われた10氏族、その一派が徐福で、日本各地に伝説が残っている、徐福は日本に来て王となった…。もう勘弁してくれよ、徐福、秦氏ユダヤ

 

まぁ、日本は古代から歴史戦のための楔を打ち込まれてしまったのかもしれないな。来訪者に対して優しすぎたんじゃないか、昔の日本人さんよぉ(都市伝説、スピリチャルと切り捨てればいいんだけどね、私もバカだよな)。

 

日本神話が阿波を舞台に、しかもそれが銅鏡を使った光通信というハイテクを武器にしたユダヤの氏族が日本を征服した物語だと、何やら熱を持って語る古老?の動画て見ました? そりゃ、初めて聴いたら、びっくりするけど。

 

落ち着いて考えてみようよ。余所者に乗っ取られたのが日本建国で、その結果祭り上げられている神ってのは異教徒の神じゃないか。で、戦後日本はGHQの洗脳だとわーぎゃー言っている連中が、女性宮家反対とか言っているわけです(ちょっと例示がうまくないけど、保守界隈の思想に詳しいわけではないから不適切だろうな。結局、明治天皇制万歳!という主張だろう)。古代に洗脳されて、20世紀でまた洗脳されて、その結果また思い出しているのが、第一次洗脳の記憶だったら、一体どないすんねんて。そういうふうにどうして考えないんだろう。

 

違うだろうと。倭国大乱、大和建国、飛鳥時代奈良時代平安時代。すんなりと行かなかったですよね。何度も揺り戻しのような動きが繰り返された。それは新しい政体というものを巡る日本人の拒絶反応みたいなものが絶対にあったはずだと。その間にたとえば、外来の思想や制度が接木されたとしても、合わないものは排除されていく、そういうプロセスが絶対あるはずだと。私は信じたいですね。信じるものは救われるのか、救われないのか。

 

まぁ、私はもう、地元の神社に初詣すら行けない思想信条の持ち主になってしまいましたけどね。地元の神社って何か「明治天皇制」って感じがするんですよ。何でも統計データを収録しているサイトってのがあって、そこで神社の数とかもあって、都道府県別に数が出てる。全国では8万5千くらいあったかな。で、コンビニの数と比較してなんか解説されていて、何その比較、意味あんの? とか思ったけど、要は明治時代から昭和にかけて、そういう日本社会にしていったわけです。神仏習合やめて国家神道でって。まぁ、だから地元にあるおよそ歴史の浅い小さな神社なんて、コンビニの店舗ぐらいの意味しかないのかもしれない。

 

あーあ。新年のブログ記事、こんなの書いて始めちゃったよ。こりゃ、今年はもう最悪の年になりそう。私はやっぱり、「天皇」という存在を理解したり納得はできないかもしれない。だから、必死に理解しようと努力してるんですがね。

 

 

 

 

 

 

 

邪馬台国越前説への疑問

これでは自分の書こうとしているテーマが日本古代史であることすら、通りすがりの方にはわからないと思います。もう年の瀬。1年経って2記事。

 

その間も考察は続けてきましたし、このブログで取り上げたいと思っていた、関連する訪問(古墳や博物館など)もいくつか行いました。が、結局、1記事すら書けず。

 

何に時間を費やしたのだろう。それは確実に某位置情報アプリだ(このブログとは無関係ですが、一応「駅メモ!」というやつです)。用もないのに電車(気動車含む)に乗りにいくという無意味な行動。その作業がほぼ6年経ってようやく一段落した。対象の駅全部の位置情報を取得したわけではないが、ゲーム上の区切りとなる数の駅の位置情報を取得することができたからだ(9100駅を突破)。ふー。これでやっとやりたいことが出来る。

 

で、いろいろ考えてはいたわけですが…。何をやっていたか。動画見てただけだろうと。いや、池澤夏樹訳の『古事記』読み終わったじゃねーかと(申し訳程度、そんだけかよ)。まぁ、今の時代、仕方ないけど。

 

でも、YouTubeの古代史界もそれなりに動きありましたね、2023年。やっぱ、関心のある方が一定数いて、それなりのボリュームを構成するようにはなったということなんでしょう(いや、むしろ古代史とか歴史は一定のファンがいるのでYouTube向きと判断されている節があるような)。それまでになかったとこと言えば(お前が見落としていただけだろうという話もあるが)、次のようなことかと。

・投稿者さんの交流が活発化して相互コメントが増え、コラボ企画も登場

・投稿者さんのセミナー講師、講演活動、著作活動

邪馬台国比定地主要4説をテーマにした?、映画が来年公開されるらしい

 

吉野ヶ里佐賀県が騒いだというのも大きかったんでしょう。あれで、一般のオーディエンスがわっと古代史動画に雪崩れ込んだ。

 

自分は何をやったんだろう、古代史を勉強したいと明確に意識し始めてから。上の位置情報ゲームよりも古いはずだから、7、8年はやっている。で、何もアウトプット出来なかった。いや、別のテーマでのアウトプットが頓挫したから、「これは古代史をちゃんと勉強しないと」と思ったというのが正確な経緯だった。そう、つまり古代史以外の興味から参入してきたということなのであります。

 

でも、そうした経緯というのは極めて正常、というか致し方なかったと思いますよ。教育勅語天皇神話が崩壊して、ああなってしまったわけだから。

 

現在、投稿動画界という現実がある。すると、そこはスピリチュアル系というか、ミステリーというか、不思議話大好きな語り部とオーディエンスがものすごくいて、日本神話を題材にした動画が腐るほど出されている。

 

あ、私、一応、歴代天皇の名前、35,6代くらいまで小学生の時に暗記してるんですよ。世界遺産になった陵墓の仁徳天皇が16代だということも認識してますし。お一人、間違って覚えていた方がいたんですが(濁音か否かの違い)。自分の父母の世代まで天皇の名前と教育勅語は掛け算99みたいなもんだったわけです。

 

だけど、それらの中身がどうであったか、普通の日本人は知らなくなってしまった(私も含めて)。そんな状況で、日本神話の話をされたらどうなるか。すぐに「ムー頭(むーあたま)」の餌食だろう。

 

ああいうアプローチもあるかもしれないが、自分はやっぱり違う。動画を見て、「いいね」を押す自分なりの基準、それはっきりさせていかんと。面白いと思ったら押しゃいいじゃんて?

 

と書き始めていると前置きが長くなってしまう。久しぶりにこのテーマでブログ記事書こうと思ったのは、ある動画を見て感想を持ったからでありまして。

www.youtube.com

 

邪馬台国越前説。あー、駅情報アプリのおかげで福井も色々回ったなぁ(古墳は見てないけど、何かあるということはわかった)。この方も動画から知ったので、そこからウェブサイトを見たりして。最初に動画を見た時は衝撃というか、やっぱそういうのあるよね。でも、免疫というか体が慣れてくると、自分に合わない部分が見えてくるというか。生体の拒否反応が出るというか。

 

やっぱ、今の時代ああした動画サイトのレビューということはやった方がいいかもと思っています。動画のコメ欄に書くというのもあるけど、特に投稿者と交流したいと思っているわけではないので、いや、むしろ、個々の動画へのコメントというよりも、自分の考え方の変化、紆余曲折の方に何か言うべきものがあるという気がしている。

 

八岐大蛇という方は動画の中で、「魏の使節倭人に騙されて獣道を歩かされて、方向感覚を失った。それは倭人が魏に制服されないための防衛工作であった」というようなことを言っています。え、それ本当なの? 魏志倭人伝にある魏と邪馬台国の関係ってその程度の関係だったの? 鎖国の江戸時代における出島が北部九州だったと言いたいわけよ、この投稿者さんは。そんで、いよいよ外人が日本に上陸して来たんで、わざと遠回りの難儀なルートを回らせて彼らの判断を麻痺させた。安全保障上の理由から。だから「倭国は魏に征服されなかった」めでたし、めでたしと。

 

その他、この方の論の持っていき方には一瞬、「そうかもな」と思わせる所があるものの、どうも腑に落ちない部分が残る。要は「下部構造決定論」なのだ。ものすげー、マルクスエンゲルス的な推論方法。古代経済の推進力は水稲耕作による農業革命で、当然、権力の中枢は農業大国にありとする。そして、当時の農業生産力を推定する方法はと言えば、江戸時代の石高。江戸時代は灌漑技術で新田開発が進んだ。つまり、江戸時代に石高が低い地域ほど、実は古代は石高が高かったという。そうやってグラフを単純に1500年くらい前まで直線で遡行すると越後より越前ははるかに農業生産力が上だった、そういうような推論をやっている。

 

うーん。ツッコミどころ満載ではないでしょうか。その他のツッコミをやり始めるとキリがないので、さらっと最初の魏と倭の関係の話に戻ると、いくつかの邪馬台国論を読んで不満に思うのはあまりにも文学と考古学にしか関心のない人がやっている感があるからだ。少なくとも、もっと当時の国際情勢の緊迫感を持って、三国志東夷伝倭人の条を読むべきなのではないかと。当時の日中韓の戦乱の中で外交関係というものがあったはずなのに、そういう視点を八岐大蛇という方の動画からは感じることができません。

 

じゃあ、お前はどう考えるのかって。前の記事でも書いたが、「魏」という国名の漢字の「鬼」という文字と卑弥呼が駆使したと言われる鬼道というのは偶然の一致なのか、ということが気になります。これらに何か関係があるのだとすれば、魏が倭人と協力関係を求めるということは文化的・民族的な必然性があったのではないか、と考えることもできるんではないでしょうか。推論の域を出ていない? いやいや、3億円犯人だって捕まらなかったでしょ? それと状況同じだって。一部、機内説で決まりみたいな論説もあるけど、あれもねぇ。

オカルトとスピリチャルにまみれて

三日坊主ならぬ一日坊主で消えそうな本ブログですが。色々、考えてはいるんです。

 

動画サイトのおすすめに従って見てみるんですが。すると傾向が似ている動画が次々と出てくるので、気が付いたらオカルトとスピリチャル、都市伝説系の日本古代史の動画がどんどん出てくるようになっていました。

いやぁ、ひどい。何と言うか、彼らのだましのテクニックも相当うまい。あれだけ、次から次へと、おぼろげながら聞いたことのある西洋古代史の国名や人名を駆使されて、矢継ぎ早に謎解きをされているうちに、「う、これはそうかもな」と納得させられてしまうだろう。対策として、一つだけ言えるのは「信じるか、信じないかは、あなた次第です」と言っている動画は信じない、これです

普通の人が知っている古代史の知識では、縄文時代に文字は無かったということ。歴史は口伝で伝えられていたことは古事記の序文にも書いてある(それを嘘というなら、本文の虚実すら怪しくなる)。文字で記録するという文化を持たなかった民族の祖先が、なぜ文字のあった古代文明に所属していたのだろうか。しかも、そこの王族や神官に関わる上層階級の人達だという。そんな言説をどうして信じられようか。

 

素人でも、本の少し自分の知っている「確かな常識」を意識して使いこなせば、こうした論理詐欺に引っかからないのではないでしょうか。いや、手っ取り早く、これまで聞いたことないような不思議話に触れたいという欲求を満たすというニーズが世の中には一定程度あるということなんでしょう。まぁ、彼らは博学だわ。それとお話がものすごくうまい。

 

私が重視するのは日本語のあり方だ。天皇ではない。ついでに言えば邪馬台国はヤマト朝廷の母体ではないと思う。でないと、「倭国大乱」と呼ばれた状況の意味が分からない。接戦にはなったけど、最後は王統が継続されてめでたしめでたし。そういうストーリーなのだろうか。

 

テレビでも良く見る松木先生が島根県のイベントで講演していた動画があって、戦争の考古学というのを話して面白かった。考古学的に戦争があった証拠は何かということで、5つほど挙げられていた(佐原学説)。やはり、対人の武器が作られたのは弥生時代で、確かに縄文時代にも争いで殺された人骨は出てくるが、それは農具で殴られた跡だったりするという。突発的な暴力や私怨のようなものはいつの時代でもあるだろう。ところが、やはり共同体全体、社会が戦争モードに突入していったという大きな社会変化というものがあったのだろうと推測されます。

 

その状況が倭国大乱と呼ばれた状況へと進展していく。その原因は大陸の政治状況なのだろうと。

 

倭人の発生はいつなのか。これは縄文なのか。縄文だとすれば、その起源は聞くところにどんどんと前倒しになっているようだ。この年代観が重要なのは日本語の成立に関わるからだ。邪馬台国九州国関係の動画を見ると、結局、中国から朝鮮半島経由で伝わった○○が、とか○○族が、という言い方が出てくる。私はそうかもしれないが、と思うが、同時に「では、なぜ日本語は中国語とは文法が違っているのか」ということだ。漢字、稲作、鉄器、航行技術? それらが中国から伝わったのだとして、殆どすべての日本文化が中国起源だということで話が落ち着くのかもしれないが、日本人なら誰でも知っているこの日本語は中国語とは明らかに違っている。そんなにすべてを教えてもらった文化なのに、語順だけマネしなかったのはどういうことなのか。

 

渡来人や徐福が日本に来たとして、彼らは当時やはり圧倒的に少数者だったという状況があったのだろう。当初から侵略者として来日したのではなく、平和共存の時代もあったのだろうと想像する。ところが、最終的には縄文流の社会秩序を保存しようというグループと、大陸の最新文化に敏感なグループの間で利害の対立が起こるようになっていった。

 

ここから先は、現時点での整理であり、私自身が自説として論理展開を熟慮しているものではない。それらを整理するための方法として作り始めたブログである。

 

中国の魏という国と倭人倭人の長が卑弥呼でこの女王は鬼道を行ったという。鬼道というのはいわゆる道教の呪術。魏という漢字の旁(つくり)は鬼道の鬼である。とすれば、魏という国は鬼道に委ねた国ということを言い表しているのだろうか。つまり、この両国は宗教観は完全に一致しているということになる。だから、相互に支援を行った。これが、魏志倭人伝に書かれた内容だった。

 

魏は歴史の勝者にはなれなかった。なのに、なぜ倭国卑弥呼の系譜が生き残って日本国の基礎になったと考えるのだろうか。記紀卑弥呼の記述は無くても不自然はない。むしろ、記紀のどこかに卑弥呼が隠されていると考える方がおかしいのかもしれない。なぜなら、鬼道に類する宗教行為は否定される経緯をたどったのだから。

 

鬼道に類する行為とは例えば、何か。これは間違っているかもしれないが、いけにえのような行為が含まれるだろう。すると諏訪神社は鬼道系の儀式が残っていると言えるのかもしれない。また、どれだけ管理しようと地方においてこうした習俗を排することは難しかったとみえ、テレビの歴史番組をぼーっと見ていて、私が急にハッとした事柄を書いて、今回の記事の結びとしたい。

 

それは毛利元就のエピソードだった。「百万一心」の話、城の拡張工事で人柱に反対し石碑を奉らせたという。ということは逆に、中国地方では人柱で地鎮するという行為が戦国時代までは確実に行われていたということだ。これを鬼道の系統だとするのは反論もあるかもしれないが、生贄をやめさせた天皇の事蹟が記紀にあったりもする(詳細は忘れましたが、その辺りが私のまだまだダメダメな所)。放っておいたら保存される習慣。新しい宗教観を持ったグループによる政治・宗教の改革というのが大和朝廷以降の動きだったのではないか。すると、やはり鹿を生贄にする神道行事のある諏訪は旧グループの祭祀を行っていたことになる(ソフトなものに変えさせられながら)。

 

無欲の日本史(仮)

一体私はいくつのブログを立ち上げてきたのだろう。最近、無料ブログの時代は終わったので、先日も1つ消え去りました。いちおう記録は取りましたが。そのブログは年に1回くらいしか更新しない状態になっていたので、終了アナウンスに気づいた時は既に利用不可になっていました(新規更新すらさせないとは、ひどい雑な処理ですよね)。

 

今回のブログもそうなるかと言えば、それはそうならないとは思います。これは本来的には私のライフワークと言うべき作業にしなくてはならないはずのものです。ただ、それは非常に不遜であり、内容的にも難しいので、自分自身できるのだろうかとかなり不安があります。ですから、はてなブログにサイトを開設してから、少し間が開いて記事投稿しています。

しかし、それではいつまで経っても怖気づいて逃げていることになってしまう。

 

このブログは大して日本史を知らない者が日本史を考えるブログです。追々、解題していきますが、ぶっちゃけ、「無欲」は「無翼」と書くべきかもしれません。それではひねりがないので、敢えて、「無欲」とした次第です。だって、あまりにも現代政治的な日本史に関する言説ばかりじゃないですか。

 

と、いきなり私の政治信条の紹介から始まりますが、無党派層です。長らく自民党共産党には投票したことがありませんでしたが、数年前に自民党に投票してしまいました。幼い頃からの印象で、とにかく自由民主党こそが諸悪の根源であり、彼らは自分の利益誘導しか考えない、ひどい人たちだみたいなことを思っていました。

 

その間、順不同で書きますが色々な政変があり、天変地異、大災害があり、私自身の失敗した脱サラなどもあり、日本社会も私自身も大きく変わりました。その中でやはり、例の大型感染症の影響は大きかったと思います。私の政治信条も大きく揺らぎ、いくつかの反省、考え方の変化がありました。これではだめだなと。

 

ダラダラ書いてもしょうがないので、すぐに結論へと話を向けるように努力しましょう。参政党現象なるものがありました。で、YouTubeでいくつかの動画を見たりしていました。すると、何か自分の中に違和感のようなものがフツフツと沸いてしまうのですよ。

 

大まかに言えば、彼らが指摘するようなグローバル勢力の認識、対抗が必要だという考えには共鳴します。大型感染症禍は私自身のグローバリゼーション礼賛を終わらせました。そうした状況で、彼ら保守界知識人の動画活動には共鳴する内容もありました。

 

ですが、どうもその考え方に触れる中、様々な本や動画を見ている中で、どうも腑に落ちない部分が出てきます。その最たるものは、動画に広告として出てくることが多い(最近減ってる気もしますが)、例の東北大学の田中名誉教授なる人物の「ユダヤ人埴輪」問題です。確かにニューヨークやロンドンにいるユダヤ人の格好と似た埴輪には見えます。だが、しかし、それがそのまま古代日本にそのような格好をしたユダヤ人が入植して、古墳を作り、ユダヤ教神道に結合した(影響を与えた)というような歴史があったという決定的証拠であるとは言えないのではないでしょうか。議論の方向性をふさぐことは良くないですけれど。私は彼の著作を読んでも、何か論証の弱い議論でしかないように思うのです。

 

ユダヤ人がああいう格好をしていたのは、これは私の印象かもしれないが、産業革命以降の都市ゲットーで、何となくロンドンのスタイルに思えてしまう。英国紳士的なファッション。で、旧約聖書を題材としたキリスト教絵画なんかを見ても、ああいう格好をしたユダヤ人が登場しているかと言えば、そんなことはなかったような。

 

とにかく、私は一部で常識化しようとしている最近の日ユ同祖論、これには懐疑的です。もう、政治的な意図があるとしか言いようがない。一部の保守層にとっては中国に日本の文化のルーツがあるということを否定できることは願っても叶ったりの要件なので、非常に好都合なのではないでしょうか。

 

しかし、私は、中国じゃないのは良かったとして、今度はユダヤが日本の先祖で、それでいいの? と思ってしまいます。いや、それはそれで、また色々な問題があるのではないかと。

 

ですから、彼らは私が緊急の勝手な造語をすれば、「科学的保守主義」の言論活動に期待する、肯定する部分はありますが、そのすべてについて無条件に賛同したり、礼賛したりもしない、そのことは自分の中で明確にしなくてはならないと思います。

 

さて、批判ばかりで、自分の日本史の考え方がないのは万年批判の野党みたいで頂けません。ですから、それを検討するのが、このブログに他なりません。私の人生の現時点での避けられない到達点、通過点として、この活動が存在する、ということです。そのことだけは最初に申し上げられると思います。