AIについては私は期待と同時に警戒も感じる。それはいわゆる人間性こそが信用できない情況にあるという不安があるからだ。世の中が何かおかしくなっている、そう感じることは多くないだろうか。幼少期に感じた社会問題への怒り、ああいうものとも違う。何なのか、この欺瞞が大手を振って流通している日常は。
欺瞞とは超ルールだとは思う。詭弁が正当化される根拠はより大きな社会悪に対抗するため、悪と巨悪とを天秤にかけた時、悪は見逃そう、そういう究極の判断ではあるのだろう(司法取引)。が、この超ルールが常態化したら、正義そのものの信頼が揺らぐのではないか。そういうマクロ的な俯瞰を誰もやらなくなったら、この社会はどうなるのだろうか? 私には世界というのはそちらの「?」の方向に向かっているように思えてならない。その一つの典型例は確実にヨーロッパであり、アメリカの民主党が強い州、カナダ、そして日本ではどうも神奈川県、大阪府、北海道、宮城県、愛知県、静岡県あたりが確実におかしい。
最近、変な人物が急に目立ってきている。国連の諮問機関にいたという大野という人だ。都市伝説界隈を賑わした後、保守系YouTuberとのコラボを経て、右派ネットメディアに出て、気づけば三重県の市議会議員に初戦で当選。自分のYouTubeチャンネルはわりと最近作って、見たら、いきなり会員サイト?への案内で、どうも宗教系のバックグラウンドがあるように見えた。神祇學(しんぎがく)なるテーマを掲げている。神道をベースにした生き方、経営学?なのだろうか。生業はセミナー講師なりプロデューサーという感じのよう。「祇」は祇園の祇。陰謀論で人を怖がらせるだけではないというが。私はまだこの人を信用できない。
石破が日本を守ろうとしていたと大野氏は言う。これは例として一つしかあがらないのではないか。菅と小泉が来て説得された時、石破は小泉と農政について議論したらしい。そこで語られたのは減反を止めるということだった。が、保守派が大騒ぎして持ち上げている高市は減反に戻っている。その他に石破茂が日本国民のためになることをしたのだろうか。80兆円はアメリカにくれてやったも同然。裏で孫正義が喜んでいるような話。ソフトバンク経済圏には入りたくないよ(おっと、早く色々と解約しないと)。
やはり、オールドメディアやネットメディア共々にうまく丸め込まれているのではないか。国際情勢アナリスト?の及川氏が「英国王室の本当の姿は…。これが真実だから、慣れて頂かないと」と言い出したのには正直、参った。トランプ界隈も過激支持派から離脱派までバラついてきた。
少なくとも縄文から現代までを俯瞰した超日本通史観が必要だ。既存のものはどれも中途半端ではないか。元外交官の岡崎なんて人はアメリカに盲従するのが日本の国益としてベスト、それ以外にはないなんて言いまくって。一方では「日本は天皇を中心とする神の国」という馬渕。国際情勢を見る目が開いていても歴史を見る目は開いていないのではないか。男系男子継承。それで、美智子や紀子の横暴を許すのか。愛子天皇は中国による日本弱体化(小和田の陰謀)の工作だそう。いやいや、そっちも工作入ってるだろと。そもそも言い出したら、愛子さまがお勤めの国際赤十字という運動、それこそ根掘り葉掘り検証しなければならないはずで。切りがない。
日本書紀が記述する「神」は果たして縄文時代の土偶の民の信仰と同じなのだろうか?
一つ言えるのは独立自存を言いながら、神義ならまだしも、神祇とは何ぞや。「神祗」を律令制度の行政機構としてみれば、神とは天津神、祇は国津神だという。おや、祇園などという言葉は古代日本語にはなかったはずでは? それで祇園はシオンである、などという都市伝説が撒き散らされている。祇が国津神であるならば、それは国譲りの出雲の神事ではないのか。そこには二つの政治勢力が融合したということが表象されているように読める。天津神は帯方郡や楽浪郡と関係する勢力だろう。となれば、弥生時代は天津神が流入し、国津神に工作を働きかけていたが、先方と同化してうまくいかない、云々という神話の記述をどう読めば良いか。
やはり、私は社会集団の物語として日本神話を読む必要があると思う。そこから何が生まれるかは、例えば、次のようなことだ。卑弥呼というのは男ではなく女と明記されている。一方、卑弥呼勢力を「日本なんてのは中国文明の一方言でしかないのだから」と軽んじる史観からすれば、倭国とは現日本(と呼ばれる区域)に流入した帯方郡、楽浪郡の勢力だとするだろう。
だが、ここで非常に不可解な事態が発生する。一体、古代中国史の中で女性はどう位置づけられていたのだろうか。女性は皇帝になっていただろうか。中国史を近代史まで辿れば、女帝は例えば西太后がいるが、これとて19cの清朝の摂政。古代史に女帝はいたのだろうか? あるいは宮廷の官僚で政治の実権に近い所で女性の居場所はあったのだろうか。ないのであれば、女王が束ねていた倭国が、中華の方言という矮小化された存在であろうはずがない。女性が上に立つと争いがおさまり、男王だと乱れる。そのような事態が中華文明で展開されるはずがないではないか。
追記:AIで始めた記事につき、AIで締めてみよう。Grokに軽く質問したら、「皇帝」を名乗った女性は「武則天」以外にいないそう。他には清の西太后、西晋の賈南風(賈后)や北斉の胡皇后がいるが、女帝とは呼ばれたが皇帝とは名乗っていない。武則天の15年間(690-705年)統治時代を知っている人が日本書紀の編纂に携わっていたわけだから、持統天皇を正当化するロジックなぞ簡単に思いついたのではないだろうか。
だが、この行為はやはり、素直に日本書紀を読むという行為を、私に即断させるのに十分だと思う。これは意図を持って編纂されている、それを根拠に神の国だ、2600年だと盲従して、男系男子万歳! GHQ洗脳、米軍出てけ、靖国で会おう!とか言っても私はそれらに追随しない。かと言って、リベラル陣営の無神経自画自賛ロジックに加担するつもりもありません。右翼でも左翼でもない、「無翼」でありたいと思っている。