邪馬台国越前説への疑問

これでは自分の書こうとしているテーマが日本古代史であることすら、通りすがりの方にはわからないと思います。もう年の瀬。1年経って2記事。

 

その間も考察は続けてきましたし、このブログで取り上げたいと思っていた、関連する訪問(古墳や博物館など)もいくつか行いました。が、結局、1記事すら書けず。

 

何に時間を費やしたのだろう。それは確実に某位置情報アプリだ(このブログとは無関係ですが、一応「駅メモ!」というやつです)。用もないのに電車(気動車含む)に乗りにいくという無意味な行動。その作業がほぼ6年経ってようやく一段落した。対象の駅全部の位置情報を取得したわけではないが、ゲーム上の区切りとなる数の駅の位置情報を取得することができたからだ(9100駅を突破)。ふー。これでやっとやりたいことが出来る。

 

で、いろいろ考えてはいたわけですが…。何をやっていたか。動画見てただけだろうと。いや、池澤夏樹訳の『古事記』読み終わったじゃねーかと(申し訳程度、そんだけかよ)。まぁ、今の時代、仕方ないけど。

 

でも、YouTubeの古代史界もそれなりに動きありましたね、2023年。やっぱ、関心のある方が一定数いて、それなりのボリュームを構成するようにはなったということなんでしょう(いや、むしろ古代史とか歴史は一定のファンがいるのでYouTube向きと判断されている節があるような)。それまでになかったとこと言えば(お前が見落としていただけだろうという話もあるが)、次のようなことかと。

・投稿者さんの交流が活発化して相互コメントが増え、コラボ企画も登場

・投稿者さんのセミナー講師、講演活動、著作活動

邪馬台国比定地主要4説をテーマにした?、映画が来年公開されるらしい

 

吉野ヶ里佐賀県が騒いだというのも大きかったんでしょう。あれで、一般のオーディエンスがわっと古代史動画に雪崩れ込んだ。

 

自分は何をやったんだろう、古代史を勉強したいと明確に意識し始めてから。上の位置情報ゲームよりも古いはずだから、7、8年はやっている。で、何もアウトプット出来なかった。いや、別のテーマでのアウトプットが頓挫したから、「これは古代史をちゃんと勉強しないと」と思ったというのが正確な経緯だった。そう、つまり古代史以外の興味から参入してきたということなのであります。

 

でも、そうした経緯というのは極めて正常、というか致し方なかったと思いますよ。教育勅語天皇神話が崩壊して、ああなってしまったわけだから。

 

現在、投稿動画界という現実がある。すると、そこはスピリチュアル系というか、ミステリーというか、不思議話大好きな語り部とオーディエンスがものすごくいて、日本神話を題材にした動画が腐るほど出されている。

 

あ、私、一応、歴代天皇の名前、35,6代くらいまで小学生の時に暗記してるんですよ。世界遺産になった陵墓の仁徳天皇が16代だということも認識してますし。お一人、間違って覚えていた方がいたんですが(濁音か否かの違い)。自分の父母の世代まで天皇の名前と教育勅語は掛け算99みたいなもんだったわけです。

 

だけど、それらの中身がどうであったか、普通の日本人は知らなくなってしまった(私も含めて)。そんな状況で、日本神話の話をされたらどうなるか。すぐに「ムー頭(むーあたま)」の餌食だろう。

 

ああいうアプローチもあるかもしれないが、自分はやっぱり違う。動画を見て、「いいね」を押す自分なりの基準、それはっきりさせていかんと。面白いと思ったら押しゃいいじゃんて?

 

と書き始めていると前置きが長くなってしまう。久しぶりにこのテーマでブログ記事書こうと思ったのは、ある動画を見て感想を持ったからでありまして。

www.youtube.com

 

邪馬台国越前説。あー、駅情報アプリのおかげで福井も色々回ったなぁ(古墳は見てないけど、何かあるということはわかった)。この方も動画から知ったので、そこからウェブサイトを見たりして。最初に動画を見た時は衝撃というか、やっぱそういうのあるよね。でも、免疫というか体が慣れてくると、自分に合わない部分が見えてくるというか。生体の拒否反応が出るというか。

 

やっぱ、今の時代ああした動画サイトのレビューということはやった方がいいかもと思っています。動画のコメ欄に書くというのもあるけど、特に投稿者と交流したいと思っているわけではないので、いや、むしろ、個々の動画へのコメントというよりも、自分の考え方の変化、紆余曲折の方に何か言うべきものがあるという気がしている。

 

八岐大蛇という方は動画の中で、「魏の使節倭人に騙されて獣道を歩かされて、方向感覚を失った。それは倭人が魏に制服されないための防衛工作であった」というようなことを言っています。え、それ本当なの? 魏志倭人伝にある魏と邪馬台国の関係ってその程度の関係だったの? 鎖国の江戸時代における出島が北部九州だったと言いたいわけよ、この投稿者さんは。そんで、いよいよ外人が日本に上陸して来たんで、わざと遠回りの難儀なルートを回らせて彼らの判断を麻痺させた。安全保障上の理由から。だから「倭国は魏に征服されなかった」めでたし、めでたしと。

 

その他、この方の論の持っていき方には一瞬、「そうかもな」と思わせる所があるものの、どうも腑に落ちない部分が残る。要は「下部構造決定論」なのだ。ものすげー、マルクスエンゲルス的な推論方法。古代経済の推進力は水稲耕作による農業革命で、当然、権力の中枢は農業大国にありとする。そして、当時の農業生産力を推定する方法はと言えば、江戸時代の石高。江戸時代は灌漑技術で新田開発が進んだ。つまり、江戸時代に石高が低い地域ほど、実は古代は石高が高かったという。そうやってグラフを単純に1500年くらい前まで直線で遡行すると越後より越前ははるかに農業生産力が上だった、そういうような推論をやっている。

 

うーん。ツッコミどころ満載ではないでしょうか。その他のツッコミをやり始めるとキリがないので、さらっと最初の魏と倭の関係の話に戻ると、いくつかの邪馬台国論を読んで不満に思うのはあまりにも文学と考古学にしか関心のない人がやっている感があるからだ。少なくとも、もっと当時の国際情勢の緊迫感を持って、三国志東夷伝倭人の条を読むべきなのではないかと。当時の日中韓の戦乱の中で外交関係というものがあったはずなのに、そういう視点を八岐大蛇という方の動画からは感じることができません。

 

じゃあ、お前はどう考えるのかって。前の記事でも書いたが、「魏」という国名の漢字の「鬼」という文字と卑弥呼が駆使したと言われる鬼道というのは偶然の一致なのか、ということが気になります。これらに何か関係があるのだとすれば、魏が倭人と協力関係を求めるということは文化的・民族的な必然性があったのではないか、と考えることもできるんではないでしょうか。推論の域を出ていない? いやいや、3億円犯人だって捕まらなかったでしょ? それと状況同じだって。一部、機内説で決まりみたいな論説もあるけど、あれもねぇ。